ゆみやんさん 012 [私の出産] | 第3回ぐるっとママ懸賞作文

「私の出産」~母から子へ伝えたい言葉~

第3回ぐるっとママ懸賞作文

ゆみやんさん 012 [私の出産]

「感謝の痛み」
真摯に。誠実に。謙虚に。感謝の気持を忘れずに。いつも応援しています。生まれてくれてありがとう。

 私は38歳で結婚し、39歳で娘を産んだ。
 初めての婦人科受診で、妊娠と同時に、私には直径10センチにもなる大きな子宮筋腫があることがわかった。個人のレディースクリニックに行ったのだが、そこの女医さんに、子宮筋腫がある人は七割がた切迫流産しやすいこと。私の年齢で、しかも初産では普通分娩は難しいので、本来なら帝王切開になるが、筋腫がある場合は大量に出血するのでそれも難しいこと。私の場合は新生児医療の設備が整った大きな病院じゃないとダメなこと。などを聞いた。私が落ち込んでいると、「医学は日々進歩しているから、その力を信じましょう」と言われた。その帰り道、私は涙が溢れてきて、駅のトイレに駆け込んで声を殺して号泣してしまった。
 紹介された総合病院の婦人科の担当医も女医さんだった。私は初めの病院で普通分娩は難しいと言われたことを告げたが、先生は「そんなことはない。普通分娩でいけるよ」と軽い口調で言った。最初の先生は脅すようなことばかり言ったのに対し、2番目の先生はそんなに心配することはないと言ってくれた。その言葉に私は随分と助けられた。が、やはり産むのは大変だった。
 その日は出産ラッシュで、私が入院したあとに次々と妊婦さんが来ては、次々に分娩室に移動して出産されていくのに、私は一番に入院したにも関わらず、丸一日経っても子宮口が開かず、なかなか分娩室に行くことができずにいた。私は陣痛の激痛に耐えられず、分娩室との間の扉を閉められるほどの大きな声で泣きわめいた。そんな私の姿を見て先生は、促進剤を使うことをやむなしと判断し、私も同意した。それで間もなく分娩室に運ばれたが、痛みは倍増し、陣痛の強弱を表すモニターの針が、グラフの山のてっぺんを越えるほど強くなった。分娩室に入ってからもなかなか赤ちゃんは出てこず、最終的に吸引分娩となった。それでやっとのこと娘は産まれた。
 出産は主人の立ち会いで、私はどれくらい時間がかかったのかわからなかったが、主人に「2時間立ちっぱなしで結構しんどかった」と後から聞いた。
 促進剤と吸引で、なんとか産むことはできたが、産んだあともキツかった。私は子宮筋腫があるので大量出血し、その量は2リットルもあったらしく、やっと出たと思ったら、止血のために直ぐに2mものガーゼを子宮に押し込まれたのだ。その痛みと気持ち悪さで、私は動くことができなかった。その日に出産したのは私を含め5人だったが、私以外の人は授乳のために時間が来ると授乳室に行くのだが、私は寝たきりで行くことができなかった。
 子宮に詰め込まれたガーゼがあまりにも気持ち悪いので、翌朝一番に先生が来てガーゼを抜き取る処置をしてくれた。詰め物が取れてイヤな圧迫感というか違和感はなくなったが、尋常ではない陰部の痛みが残った。少し触れただけでも跳び上がるほど痛かった。だから寝返りも打てないし、じっとしててもジンジン痛く、痛み止めが効いている間しか眠ることができなかった。看護師さんが薬を塗ってくれようとして、私の陰部が青紫色に腫れ上がっているのを見て驚き、「これは痛いわ」と言った。本当に辛くてキツかった。
 後に主人から聞いたのだが、吸引分娩になった時、先生がポツリと「脳に障害が出なければいいけど」と言ったそうだ。それを聞いて私はゾッとした。出産したときに撮ってもらった写真を見ると、娘の頭は吸引によって伸び、エイリアンのようになっていた。後からわかったことだが、吸引時に私の陰部に大きく負担がかかった分、娘はエイリアンのようにはなってもまだ負担は小さかったので、障害が出ずに済んだのだった。あの時の痛みには悶絶したが、そのおかげで娘への負担が軽減されたのだと思うと感謝しかない。私でよかった。そのための痛みならいくらだって受ける。親とは本来そういうものなのだ。
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